カテゴリ: 小倉LS以外の話題
侍ジャパンサヨナラ逆転!
全力疾走
昨日のWBC 日本-中国戦、
皆さんご覧になりましたでしょうか。
スコア上は8-1と圧勝でしたが、
途中までは競った試合してましたね。
個人的には中国に
野球のイメージが無かったので少々驚きました。
これから先、野球が盛んな国が、
ドンドン増えていけば嬉しいことです。
初戦を終えた後の
栗山監督のインタビューの中で
原田審判長とともに
とても感銘を受けたのがコチラ↓





8回裏に一挙4点を奪ったきっかけについて聞かれると「8回というよりも、前半に苦しんだなかで追加点を取るにあたって、たっちゃん(ラーズ・ヌートバー)が全力疾走してセーフになった。一生懸命走らないとセーフにならない。ああいうできることを全力でやり尽くすことが流れを呼び込んでくる。そういった形が日本野球のゲームの原則であると僕は思っているので、あそこはよく走ってくれたし、そういうところをしっかり明日からもやっていきます」と語り、全力疾走で相手選手のエラーを誘ったヌートバーを称賛した。(出典)
当該のプレーは2分20秒ころから





メジャーリーガーが示した
全力疾走・全力プレーという姿勢は
野球がまだまだ未完成な
小倉リトルシニアの団員達でも
明日の試合からでも示すことができます。
ぜひ見習ってほしいものですね。
走れ、小倉リトルシニア!

皆さんご覧になりましたでしょうか。
スコア上は8-1と圧勝でしたが、
途中までは競った試合してましたね。
個人的には中国に
野球のイメージが無かったので少々驚きました。
これから先、野球が盛んな国が、
ドンドン増えていけば嬉しいことです。
初戦を終えた後の
栗山監督のインタビューの中で
原田審判長とともに
とても感銘を受けたのがコチラ↓





8回裏に一挙4点を奪ったきっかけについて聞かれると「8回というよりも、前半に苦しんだなかで追加点を取るにあたって、たっちゃん(ラーズ・ヌートバー)が全力疾走してセーフになった。一生懸命走らないとセーフにならない。ああいうできることを全力でやり尽くすことが流れを呼び込んでくる。そういった形が日本野球のゲームの原則であると僕は思っているので、あそこはよく走ってくれたし、そういうところをしっかり明日からもやっていきます」と語り、全力疾走で相手選手のエラーを誘ったヌートバーを称賛した。(出典)
当該のプレーは2分20秒ころから





メジャーリーガーが示した
全力疾走・全力プレーという姿勢は
野球がまだまだ未完成な
小倉リトルシニアの団員達でも
明日の試合からでも示すことができます。
ぜひ見習ってほしいものですね。
走れ、小倉リトルシニア!

消えた球場①:小倉到津球場
つい最近、偶然に知ったのですが
むかーしむかし、
第二次大戦前の小倉北区到津の辺り(※)に
球場があったそうですね。
※正確な現住所は小倉北区到津3-3
球場名は地名のまんま
小倉到津球場(wikipedia)。
陸上競技場を兼ねていたこともあって
左翼85m右翼125mという
なんだか
某所を彷彿とさせる長方形
だったようですね。

※画像はイメージです
この独特な形状をした球場で
戦前のプロ野球興行はもちろん
メジャーリーグ選手を招いての
日米野球まで行われたということですから
ちょっと驚いてしまいました。
そして、その日米野球では
伝説のベーブルースさんまで出場されて、
なんと右翼越え!のホームランを
たたき込んだとのこと
この小倉到津球場は
第二次大戦中のどさくさで
消えてしまったようで、
今は"アクロスプラザいとうづ"という
商業施設が建っています。
往事をしのんだ記念碑が
残っているとの記載を見つけたので、
当ブログのネタ拾いに行ってきましたよ。










おお、確かにある。

↑の写真では見えにくいですが、
小倉到津球場跡と確かに書いてます。
場所としては
はるやま小倉到津店前。
交差点の角に鎮座してます。
グーグルマップにも載ってますね。
3面あったので、残りも全てご紹介。
球場の概要について


たしかに右翼125m。
現在使用されているNPB本拠地球場の
どこよりも長いみたいですね。
左翼85mというのも短すぎですが
そして、ベーブルースさんのは
何と予告ホームランだったと判明しました。
日米野球の記録


ニワカな野球ファンなので
ベーブ・ルースさんと
ルー・ゲーリックさんくらいしか
分かりませんでした
↓によると、この試合は
1934年日米野球の第15戦にあたるようです。
全部で16戦あり、
アメリカ側の全勝(Wikipedia)
この大会中に、伝説の名投手である
沢村栄治さんが投げたようですね。
この記念碑以外に
当時を偲ぶ面影を
見いだすことは出来ませんでしたが、
何十年も昔の熱い野球の記憶が
ここには確かに刻まれているようです。
【参考記事】
↑のkitaQ.net様には
このブログを立ち上げた頃から
お世話になってます!
むかーしむかし、
第二次大戦前の小倉北区到津の辺り(※)に
球場があったそうですね。
※正確な現住所は小倉北区到津3-3
球場名は地名のまんま
小倉到津球場(wikipedia)。
陸上競技場を兼ねていたこともあって
左翼85m右翼125mという
なんだか
某所を彷彿とさせる長方形
だったようですね。

※画像はイメージです

この独特な形状をした球場で
戦前のプロ野球興行はもちろん
メジャーリーグ選手を招いての
日米野球まで行われたということですから
ちょっと驚いてしまいました。
そして、その日米野球では
伝説のベーブルースさんまで出場されて、
なんと右翼越え!のホームランを
たたき込んだとのこと

この小倉到津球場は
第二次大戦中のどさくさで
消えてしまったようで、
今は"アクロスプラザいとうづ"という
商業施設が建っています。
往事をしのんだ記念碑が
残っているとの記載を見つけたので、
当ブログのネタ拾いに行ってきましたよ。










おお、確かにある。

↑の写真では見えにくいですが、
小倉到津球場跡と確かに書いてます。
場所としては
はるやま小倉到津店前。
交差点の角に鎮座してます。
グーグルマップにも載ってますね。
3面あったので、残りも全てご紹介。



たしかに右翼125m。
現在使用されているNPB本拠地球場の
どこよりも長いみたいですね。
左翼85mというのも短すぎですが

そして、ベーブルースさんのは
何と予告ホームランだったと判明しました。



ニワカな野球ファンなので
ベーブ・ルースさんと
ルー・ゲーリックさんくらいしか
分かりませんでした

↓によると、この試合は
1934年日米野球の第15戦にあたるようです。
全部で16戦あり、
アメリカ側の全勝(Wikipedia)

この大会中に、伝説の名投手である
沢村栄治さんが投げたようですね。
この記念碑以外に
当時を偲ぶ面影を
見いだすことは出来ませんでしたが、
何十年も昔の熱い野球の記憶が
ここには確かに刻まれているようです。
【参考記事】
↑のkitaQ.net様には
このブログを立ち上げた頃から
お世話になってます!
村上宗隆選手からリトルシニアへ
リトルシニア九州連盟より、
以下の様な素晴らしい報告を
頂きましたので供覧いたします。





以下の様な素晴らしい報告を
頂きましたので供覧いたします。





令和5年2月16日
九州連盟全チーム選手の皆さんへ
理事長 岸本 清一
ヤクルトスワローズ村上宗隆選手の大会支援について
このたび村上選手(熊本東チーム出身)からTKU旗に対する大会支援の申し出がありました。
早速今大会に対し村上選手からの優勝杯(持回り)、準優勝、3位チームへの盾(取りきり)の贈呈がありました。
支援は今後も継続される予定です。
村上選手の活躍は誰もがご存知の通りです。益々の活躍を日本全国のみならずメジャーリーグからも期待されています。
村上選手は自分がプレーしたリトルシニアの思い出を大切にされ、後輩の皆さんの活躍、成長を楽しみにし期待されています。
その思いが今般のご支援の運びとなりました。
皆さんの全力のプレーでその期待に応えてください。
大会直前の報告となりましたことをお許しください。
以上の様に、熊本東リトルシニアOBで
昨年のNPBにて令和の三冠王に輝いた
村上宗隆選手が
TKU旗争奪春季大会に対して
支援をして下さったとのこと。
中学硬式野球への
熱い想いと厚い御支援に
心から感謝いたします。
そうそう、
そういえば今週の週刊文春にて
この村上宗隆選手と
当小倉リトルシニア
大津修郎監督さんに関する
逸話が紹介されていましたよね!
上に一部だけご紹介しましたので、
全部をお読みになりたい方は
すぐに書店でお買い求め頂くか、
(毎週金曜日には入れ替わるのでお早めに!)
あるいは電子版の購入を御検討下さい。